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明太子に豚骨三昧ダーッ

2011/01/30 22:04

 

 すっかりご無沙汰しております。
 
 まあ、それはそれとして、最近、福岡に行く機会が増えちゃってさ、その関係で明太子を年がら年中食ってるんですよ。

 

 もちろん、空港で売ってるのを買って帰るだけだけどね。

 

〝福〟なんとかってのとか、やまなんとかっていう、東京でも有名なのとか、そうでもないのとか、10種類以上は食しましたよ。

 

 その大して多くもない経験から言わせてもらうと、ネットなんかの人気投票で評判になっていた稚加榮の明太子は、オレには味の品が良すぎて物足りなかった。

 

 物足りたのは平塚の辛口明太子。これは、かなり足りた。ビリッ、ガツンッときたね。

 

 石原裕次郎が好きだった明太子として有名らしいけど、裕次郎さんも辛いのがすきだったんだろうね。アツアツのゴハンにピッタリですよ。近所のスーパーで売ってる「約束のキムチ」と一緒に食べると「ヒーハー」だよ。

 

 ほかでは、ちょっと品があって、あとからピリッとくるところが気に入ったヒロショウ(字を忘れた)の明太子。昆布の味付けのやつね。

 ただ、ここのは必ずあるわけじゃないんだよ。いつ行ってもあるわけじゃないところもいい。

 

 それから椒房庵の七味唐辛子がぶっかかった明太子。これもオレの口には合った。

 

 ホント、にわか明太子ファンなんで、明太子に対する明確な理論付けみたいなものはなくてさ、浅いフィーリングでモノ言ってるだけなのが悲しい。

 

 しかも、あれだけ種類が多いと、そんな簡単には食べ尽くせない。食べ尽くすだけで時間がかかっちゃって、ほぼ全種類を食べた時には、きっと最初の頃に食べたのは味も忘れてんだろうな。

 

 もう、出会いの妙でしかないんじゃないか。

 

 正直、明確な味の区別なんかできませんね。

 

 しかも、痛風をやっちゃったオレにとって明太子みたいな魚卵系は本来天敵だしな。やっぱ、食べ過ぎると足が疼くんだよ。

 

 〝そろそろヤメとかないと知らねーからな〟って、足が危険信号を送ってくるわけ。

 

 だから、最近は豚骨ラーメンに切り替えてんだけどさ。

 

 これも種類が豊富だよねぇ。しかも、所詮、空港で買って帰るお土産だからさ。間違いなくこれがナンバーワンと思える決め手があるかどうかもわかんない。

 

 やっぱ、口に合うか合わないかしかねーのよ。

 

 とりあえず、いくつか買ったうちでは「まるいち」ってとこから出てる「博多醤油豚骨ラーメン」がうまかった。

 

 どこが豚骨なのか、よくわからなかったけど、醤油のさっぱり味がよかった。一食180円だかで安いしね。

 

 オレのラーメンの原点は、釣り堀(無理矢理連れて行かれただけで釣りには興味ない)で食べた醤油ラーメンでさ。

 

 ナルト、しなちく、ほうれん草、チャーシュー、長ネギの刻んだのが入ったやつで、スープは真っ黒じゃなくて、もっと透明な感じ。

 

 ラーメン通じゃないし豚骨はどういうのがおいしいのか、よくわかんないんだけどね。

 

 銀座8丁目の日航ホテルのそばに「長浜ラーメン」(だったと思う)ってのが出てて、たま~にラーメン560円を食うのよ。

 

 紅ショウガ、高菜、おろしたニンニクのトッピングがタダだし、スープがクリーミーでオレは好きなんだけど、オレより年がら年中福岡に出張してる人にいわせると「本場のはあんなにクリーミーじゃなくて、もっとサッパリしてておいしい」っていうしね。

 

 まあ、今度は彦麻呂がナンバーワンのお墨付きつけたとかいう3食だか4食入りで1500円超するやつを買って帰ろうかなって思ってますけどね。

 

 それにしても、ここ2~3カ月は、近年にないくらいよく働いてるよなあ。

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想像以上! アギレラとシェールの共演映画

2010/11/29 11:43

 

 

 18日から公開になっちゃうんで、とっとと書きますね。映画「バーレスク」は、金払って後悔しないですよ。


 ロック界のディーヴァ、クリスティーナ・アギレラが主演し、グラミー、アカデミーの両方で栄冠を手にしたスーパースター、シェールが共演した作品で、歌と踊りがふんだんに出てきて、しかも、セクシーなシーンがドバドバというくらいに出てきますね。


 ただ、カップルで観に行ける程度にはいやらしくないよ。


 まあ、あらすじはこんな感じ。自分の歌のうまさを生き甲斐にしたくて都会でひと花あげようと、ド田舎からロスに出てくる娘がアギレラの役どころ。


 そこで勤め先としたのが、買収寸前に追い込まれたバーレスク(下ネタ&お色気ショー)の店。そこのスターで経営者がシェールのやくどころですよ。


 まあ、いろいろあった末にアギレラはそこの再建に欠かせない存在になっていくんだけど、オレはアギレラの歌と踊り(特に踊り)には驚かなかった。想像の範囲だったから(踊りは想像よりチョイ下)。


 でも、演技は想像もしてなかったくらいによかった。すごくね、自然なんですよ。恋に落ちるある男との、次第に盛り上がっていく気持ちを表す表情、会話、そういうのが実に自然なわけ。アギレラは、これが映画初主演だけど、役者でもやっていけんじゃねーの。


 それから、素顔に近い化粧。アギレラは、ケバいブスだと思ってたんで、化粧が薄いときのアギレラのかわいらしさにはグッときた。ギャップにやられたと。あの寝顔が目の前にあったらいいだろうなぁと思っちゃったね、思わず。


 とにかく、歌がよかったのは当然として、それ以外のアギレラの魅力が満載なところがいい。


 ちなみに、バーレスクという雰囲気を見事に醸しだしていたのは、シェールですよ。場末で生きてきた女のしたたかさ、傲慢さ、かわいらしさ、あらゆるものが魅力的にシェールの人生の中に詰まっているように感じました。特に、歌は絶品ですね。たしか2曲しか歌わなかったけど、なんつーか、重みがあったね。あれは、いまのアギレラにはでせないものだから、聞き応えの違いを堪能しまショー。

 

 このシェールを支えるオカマの演出家もなかなか見応えがあるんでね、ひとつそっちにも注目してみては?


 あと、ファッションとかインテリアとかの小道具も、見ていて面白かった。楽しさ満載で、いろいろなものに興味をひかれますよ。それだけは、間違いない!

 

 

 

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クラプトンの音って西海岸っぽくないか?

2010/10/30 00:02

 

 いや~、本格的なパチンコ面担当になっちゃって、11月までにに紙面改革しちゃおうと大胆にも思っちゃって、あちこち動き回ってたもんだから、すっかりご無沙汰してしまいました。


 ひさしぶりんこで仕事の夢見てうなされちゃったりしてな。アタマも体も激アツな刺激をくらって大当たり寸前ですよ。一撃16R出玉2000発超みたなやつ。


 やっとこさ、先の展開が見えてきたんで、そろそろソロ~っと復活すんべかなってところかな。


 ちょっと前になるんだけど、レコードメーカーの友達がエリック・クラプトンの新作「クラプトン」を送ってくれました。


 途中で「!~?」って思った曲があってさ、要は以前にストーンズのアルバム「ベガーズ・バンケット」に入っていたのとそっくりなヤツで「ザッツ・ノー・ウェイ・トゥー・ゲット・アロング」という作品で「!~?」ってなったわけ。両方のライナーノートを読んだらナゾが解けました。


 これは、ストーンズが「PRODIGAL SON/放蕩息子」のタイトルで収録していた曲の原曲で、デルタブルースに分類されるシンガー、ロバート・ウィルキンスという人の作品なのね。


 ウィルキンスは第二次大戦前に活躍し、戦後は牧師となった経歴を持つ人物で、「ザッツ・ー」は1929年9月にメンフィスのビーボディホテルというところでで収録したとか。これを年に「PRODIGAL・SON」としてリメークし、ストーンズはその年版をカバーしたってわけだ。


 で、クラプトンは原曲の方をカバーしたってわけ。


 だから、最初にクラプトンの「ザッツー」を聴いた時、「! なんかストーンズが前にやってた曲に似てんだけど? なんかちょっと違うんだよなぁ」って思ったわけだ。


 でぇ、ウィルキンスという人の原曲を聴いてないんで、乱暴な比較になりますが、たぶん、ウィルキンスのモト歌もリメーク版の方がカッコよくなってたんじゃないか。


 クラプトンとストーンズを比べると、ストーンズの方がカッコいい。

 たしか、両者ともに雲の低く垂れ込めた暗~い雰囲気のロンドン近郊育ちのはずなんだけど、ストーンズの音が黒いのに対して、クラプトンの音は明るさがある。それも、米西海岸の明るさ。


 クラプトンはクスリ漬け、アルコール漬けのボロボロの状態を何とか克服して復帰した時、その第1弾のアルバムが「461オーシャンブールバード」っていうタイトルだったでしょ。


 アレだよ、アレ。あのアルバムのジャケ写の雰囲気が醸し出す米の西海岸っぽさ。


 どこかにクラプトン=ブルース信奉者=黒い、のイメージがいつの間にか何の疑問もなしにオレの中にできあがってたんだけど、実はアロハシャツが似合うような明るさがあるね、この人は。


 なんか、明るいと思いませんか、クラプトンのギターの音色って。


 それを突き詰めていると、とてもじゃないけどブログにアップしてられないんで、きょうのところはここまで。次回にアタックします。

 

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エグのATSUSHIの芯の部分

2010/09/24 19:14

 

 いろいろ忙しくて、お久しぶりんこ。

 

 これも随分と経っちゃいましたが、日産スタジアムで、今月中旬に行われたエグザイルの公演を見て参りました。


 オレの見た目でいうと、構成も含めてエグのパフォーマンスは上がっていると感じた。


 単なる話題作りで14人に人数増やしちぇってよぉと思ってたオレの偏見を見事に覆してくれたたですよ。


 まず応援グッズがよかった。


 水色のフラッグ、赤いうちわ、星形のペンライトの3種類をまとめ売り(単品売りもあり)してたんだけど、このグッズが薄暮、薄暮と夜の闇の中間、完全な夜と、ライブの時間経過に見事にマッチして効果的に色彩の魅力を発揮していた。


 あとはステージの使い方。これも見事というか、14人ならではのスケール感が爽快感をひきだしていた。


 ステージは、口という漢字を横長にしたような、アリーナをすっぽりと囲む感じで設営されていて、本来なら豆粒のようにしかメンバーが見えないであろう後ろの席の方まで伸びている。


 実際に、そこで歌ったり踊ったりする曲もあるんで、メンバーの歌と踊りをを間近に見ることができ、後ろの席とはいえ前の席と変わらないお得感が味わえる。


 じゃあ、サイドはどうかというと、じつはサイドから始まる演出というのもあり、サイドも決してないがしろにされていない。


 どこの席からでもメンバーの顔が間近に見られる演出で、特にサイドのステージを使うときはメンバーが7人ずつ両サイドに別れて歌い踊るのでステージにスカスカ感がなく、メンバーが14人になった特徴が効果的に出たんじゃないか。


 もう30年以上も前、米西海岸に行った時、ディズニーランドの帰りにナッツベリーファームという、オレンジカウンティという所にあったディズニーの5分の1くらいの規模(だったと思う)の遊園地に寄った時のことなんだけど、まぁ、ディズニーとは比較すべくもなく閑散としていた。でも、サービスは一生懸命だったよ。


 西部劇に登場するような汽車が園内を走っていて、ただ1周してくるだけの乗り物だったけど、途中でちゃんと列車強盗が現れるわけ。拳銃バンバン撃ちながら。


 それが面白いかどうかはともかく、当時の日本の遊園地(まだディズニーなんてなかった)では考えられないようなサービスでさ、「こんな遊園地でも、ここまでやんのか」といたく感動したことがあるんだけど、エグのライブを見ていてそんなことを思い出したわけだ。


 ただでかいステージでやるってだけじゃなくて、でかい器なりの、多い人数なりのファンサービスというのが、よく工夫された野外ライブだった。


 今回は、野外の大スタジアムだし、サイドに別れて歌うところなんかはボーカルの2人の距離は30~40メートルは離れていたから呼吸を合わせるのが非常に難しそうに見えたし、特にボーカル力に関して進歩を感じたよ。


 関係者がいうには、ATUSHIはオフの時に馴染みでもなんでもないライブハウスにフラッと立ち寄って、そこでピアノの弾き語りをしてるミュージシャンとコラボしたりするらしいね。


 スタッフとしては「エグザイルのATSUSHIなんだからやめてくださいよ」ってのがあるらしいけど、本人はそうやって歌うのが好きみたいね。そういうところの客層だとATSUSHIを意識しなくていいだろうし、刺激があって楽しそうだよね。


 実はこのライブに本人のおじいちゃんがきててさ、そのことに触れて平和の大切さを話してた。

 
 厳密にどう表現したのかは忘れたけど、こうやってライブが出来て、いい世の中になったな、といったようなことをじいちゃんから言われたらしい。なのでATSUSHIは、戦争で犠牲になった多くの人たちのおかげで今の日本の繁栄があることを忘れないようにしたいといった内容のおしゃべりをしたような気がする。


 それから「どんなに売れても謙虚に真剣に歌いたい」「一生懸命にやることはカッコ悪いことじゃなくて、それがカッコいいことなんだと伝えたい」といったようなことも話していた気がする。


 エグのコンサートは、どちらかというと体育会系でしょ。文化系劣等生のオレには、ちょっとケツがこそばゆいんだけど、オレがATSUSHIの年齢の時に、はたしてそんなことが言えたかどうか。


 見知らぬライブハウスにフラッと入って歌っちゃうってのも、ATSUSHI流のパフォーマンスの鍛え方なんだろう。


 平和ついでに突然ですが&ベストセラーなのでオレがいうまでもないことですが、読んでいない方にはゼヒモノで「永遠の零」という小説をオススメします。


 尖閣諸島で起きた中国漁船と海上自衛隊の巡視船の衝突事件や、その際の中国の強気の対応と、対照的に弱気で駆け引きベタでお人好しな(というより日本の権益を守ろうとする気の乏しい)日本政府の対応を見ていると、平和の大切さと同時に、平和を維持していくための毅然とした態度の大切さを痛感するよ。

 

 


 

 

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いきものがかりの得難い魅力について

2010/09/12 20:39

 

 随分経ってしまいましたが、いきものがかりの全国47都道府県を回った「こんにつあー」が9月4日の日本武道館公演で終わっちゃったね。
 若手のユニットでは、いきものとSuper Flyに注目してんですよ。今回はいきものの話ね。


 すでに7月だかに旧渋公で行われたライブを見てるんだけど、改めて感じるのは吉岡聖恵のボーカル力ね。


 Super Flyの越智志帆の圧倒的なシャウトとはちょっと違うボーカル力。


 〝声量〟という意味では他の追従を許さずに越智志帆なんだけど〝清涼〟なら吉岡の右に出る者はいないんじゃないか。


 彼女ほど、純真さとか純粋さが聴いている者に伝わってくるボーカルはいないとオレは思ってんだよ。


 うまいヘタを超越して心が洗われる声。


 純真とか純粋というのは鍛えてどうこうなるもんじゃない。天から授かった生まれながらのテクでしょ。言われて気分のいいもんじゃないかもしれないけど、吉岡はこの点だけでも歌手という職業に選ばれた人なんだと思ってるよ。


 オレは、「ブルーバード」を聴いてファンになったんだけど、リーダーの水野良樹の詞・曲がもちろんよかった。


 琴線に触れるメロディー、印象に残る歌詞、小気味のいいリズムが、ほぼ3分30秒で完結しているところなんか、ヒット曲の王道を行ってるといっていいでしょ。どこまで意識したか知らないけど、この作りは見事だよ。


 でも、最後の決め手は吉岡の声だろ。


 彼女の声とステージで見せる天然キャラを見てると、妖精のように白い水着を着た女の子が、M字開脚で潮干狩りしてるところを想像しちゃうんだよね。


 そんな光景にもしも出くわしたら、ドキッとするというか「おいおい、勘弁してくれよぉ」って思うでしょ。


 純真なドキ声。天性というジャンルではかなりなもんだろ。吉岡が40歳になって歌う「ブルーバード」を、ぜひ、聴いてみたい。きっと変わってない。「相変わらず白い水着が似合ってM字開脚で潮干狩りしてんじゃねぇか。ホント、頼むよぉ」って、変わらない凄さを確認して喜びたい。


 メジャーデビュー前の路上ライブでパラパラの客を相手に歌っていたのが、いまや8000人の前で大きな声援に包まれて歌ってるわけだ。いきものは、その大きな変化に対していつも感謝し、パフォーマンスが喜びに満ちているけど、その感動が持続する限り、魅力は失せねーだろ。


 ちなみに吉岡の天性、水野のヒットメーカーとしての資質を語り、もう一人のメンバー、山下の話が出てきてねーけど、「ブルーバード」で最も印象に残るのは山下が吹いてるハープだよ。


 要するに、いい組み合わせなのよ、このユニットは。


 厚木・海老名という育った土地ね。東京、横浜という都会からの距離感も絶妙なんじゃないか。


 あまり離れすぎず、近すぎず、イモっぽさを冷静にバネにできる、ほどよい位置。


 東京に例えると、ユーミンが育った八王子に匹敵するんじゃないか。


 何というか、物事を冷静に見られる距離というのは存在すると思うんだよ。


 それがすべてのユニット、アーティストに当てはまる成功の条件とは思わないが、ライブのトークの時に都会コンプレックスで盛り上がるいきものには、厚木・海老名から横浜に至る道のりというのが、彼らの創作意欲をかき立てているのは間違いないんじゃないか。


 いきものが、かなり本気でコンプレックスを感じながら〝だからこそ〟気取らずに自分らしさを出して冷静に立ち位置を確認していられるのはそのためだと思うわけ。


 ヒップホップ系とかが生理的にダメで、若いコの音楽はそれほど多くは聴いてないんで断言はできないけど、ここまで素朴さが隠せず、なおかつそこに清々しさを感じさせるユニットって、あんまりいないと思いませんか。


 

 

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小鉄さん、梨元さんの死去で思い出すこと、思うこと

2010/09/05 23:26

 

 ちょっと経ってしまいましたが、元プロレスラーの山本小鉄さんが亡くなりましたね。


 オレがまだ編集プロダクションにいた20代の頃、小鉄さんが選んだベストバウト20番といった内容のプロレス本を出したことがあるんですよ。


 「本の帯はどうするんですか? こんなアイデアはどうですか」って、平積みされた時に目を引く方法まで考えていて、自分の見せ方をいろいろ工夫できる人だったね。


 ちょうど新日本プロレスに大量の脱退者が出た時で、小鉄さんにインタビューした時にはタイガーマスク、藤原喜明、前田日明、高田延彦はすでにいなくて、長州力が脱けた直後くらいだった。


 本の巻頭で当時の新日の試合写真も載せたんで、埼玉の越谷体育館で行われた時に撮りに行ったんだけど、オレの記憶に間違いがなければ武藤敬司蝶野正洋のデビュー戦がこの日だったと思う。あの時は見た目の精悍さ、体つき、何よりスター性で武藤がひときわ光っていた印象が残っている。この頃の蝶野は、まだまだ地味~な感じだった。


 メーンイベントはアントニオ猪木VSスーパーストロングマシンだったと思うが、オレはそれ以前の新日の試合もタイガーマスク大百科とかいう本を作った時に見てんのよね。


 タイガーVSダイナマイト・キッド、藤波辰巳VS長州力とか、アントニオ猪木がかすんじゃうほどの好カードが目白押しでさ。たしかテレ朝の「ワールドプロレスリング」(だったっけ?)の視聴率は、30%を超えていたんじゃないか。


 その頃の名物のひとつが、当時の古館伊知朗局アナと審判部長・山本小鉄さんの掛け合いというか、名調子の実況と解説ですよ。小鉄さんは、レフェリーとしてリングに上がる時は必ずヒンズースクワットをやるわけ。かなりの速さで膝の屈伸をパワフルにやってて、オレも運動不足になると自宅でマネしてたよ。


 まあ、オレが小鉄さんにインタビューした時は〝祭りの後〟みたいな感じの時でさ、前座の試合から少々すきま風が吹いてる雰囲気だったけど、越谷体育館の控え室へ訪ねて行ったら猪木さんと小鉄さんの即席漫才みたいな会話が始まっちゃってさ、「誰が出てこうがどうってことねぇよ」って勢いで、詳しい内容はきれいさっぱり忘れたけど、とにかく面白くてゲタゲタ笑っちゃったことだけは覚えてる。


 小鉄さんの話で思い出すのはマクガイア兄弟という体重300キロ超のレスラーのことね。小鉄さんは風呂場で2人の体をよく流してあげてたらしい。


 とにかくお肉が分厚くて、胸とか腹の肉が何重にも重なっていて、きれいに洗おうとするとお肉を3枚くらいめくらないと下まで届かなかったらしい。しかも洗うのに使ったのはタオルとかじゃなくて、モップだったらしい。


 それをね、身振り手振りを交えて、なおかつ椅子から立ち上がって、踊るように跳ねるように説明してくれて、笑かしてくれるんですよ。あのサービス精神というか、タレント性には誰もが惹かれたんじゃないか。


 オレの目の前で飛んだり跳ねたりしたその人がね、いきなりに近い形でもういないのかと思うと複雑だよ。欠落感とか寂しさとかいろいろな感情が交錯するんだけど、その中でかなりな大きさを占めているのが、オレが現場でかけずり回って取材したり挨拶したりした人たちが、確実にいなくなり始めたってことね。


 この間、テレビリポーターの梨元さんも亡くなったでしょ。オレは音楽や映画やライブそのものが好きで、その人たちのプライバシーそのものに興味があるわけじゃないんで、会えば挨拶する程度の存在だったけど、そうはいってもタレントの離婚、結婚、破局、熱愛会見とか、それにまつわる張り込みとかではよく出くわしてたからね、いってみれば顔見知りですよ。張り込みしてると、道行くおばちゃんが素早く梨元さんを見つけて、よく記念写真を撮られてたよ。その梨元さんももうこの世にいない。オレたちの時代の何かが確実に終わりつつあるんだと感じるわけですよ。
 

 

 まず、テレビリポーターという職業に若手がいないでしょ。オレとほぼ同年齢の井上公造さん、城下尊之さんあたりから下がいないと思いませんか?


 今にして思えば、梨元さん、前田忠明さん~井上、城下両リポーターまでで芸能スキャンダル全盛期は終わったんだよ。ワイドショー、女性・写真週刊誌、スポーツ新聞の3媒体が三位一体でスキャンダルを追いまくり、否定でも肯定でも必ず会見が行われてタレントの生々しい表情を見ることができた時代は、もうはるか向こうに行っちゃったわけ。


 会見がいつの間にかファックスでのコメントになり、いまは本人のブログかツイッターとかでしょ。タレントのビビッドな表情が見られなくなって久しい。あれこそ、本人の潜在的な芸の見せ所でもあったんだけどね。


 当意即妙に答えて翻弄してくれた勝新みたいな芸人はもう出ないんだろうな。やたら私生活だけにこだわるこっちもだけど、こっちもあっちも無味乾燥で不粋になったもんだよねぇ。随分と小鉄さんからそれてしまいましたが、まあ、きょうはこんなもんで。
 

 

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もはや韓流=オバハンではないかもね

2010/08/26 14:42

 

 なんかムーブメントとしてね、日本も韓流も女の子のアイドルユニットが来そうな気がしてんですよ。


 特に、オバハンたちに任せておけばよかった韓流がさ、どーも若い女の子たちを巻き込みつつあるんじゃないかと、そう思って久々にそんなライブに行って参りました。 有明コロシアムで3回も回した女の子9人組の「少女時代(ガールズ・ジェネレイション)」ね。


 行ってみて実際に見てみるまでは、どこか心の片隅に秋葉系カメラ小僧の集団を思い描いている自分がいたんだけど、とんでもなかったね。


 見た感じ、9割5分が女の子。松田聖子ちゃんをはじめとする1980年代のアイドルブームの時とも随分と違う。


 聖子、明菜はやってくうちに同性からの人気を獲得して長持ちしたんだけど、このグループは最初から女の子のファンばっか。


 レコード会社関係者が「洋楽アーティストのレディー・ガガを見るのと変わんないんじゃないですか」って言ってたけどそうかもね。


 ファッションとかダンスとか、スタイルの良さとかに人気があって、少女時代のコたちも、ほとんどがスタイルばっちしだった。昔のアイドルだと、どこか洗練されてないとことか(たとえば大根足)、身近に感じられる親しみやすい素朴な笑顔とかがポイントだったんだけど、今回のブームでは〝朴訥〟ってのは皆無なんじゃないか。


 80年代だったら敬遠されがちなクールさを、みんなが持ってる気がすんだよ。


 特に、韓流の女子アイドルユニットはみんなスタイルがいい。今月は、KARAと少女時代が注目を集めていたけど、日本デビューが本格化するのはまだまだこれからみたいね。


 日本サイドは、AKB48が今のところ一人勝ち状態だけど、来年早々にはAKB48VS韓女子ユニットの構図が出来上がっちゃうんだろうか。


 日本でもAKBを追う存在として、SKE48とかSuper Girls、ももいろクローバー、スマイレージあたりの新戦力の名前が上がっているけど、この辺も力をつけてくれば、久々にアイドル戦線が盛り上がるんじゃないか。


 これまでとちょっと違うなと思うのは、安室奈美恵SPEEDの頃に下地は出来てたけど、けっこう、しっかり踊れて歌もそこそこ歌えそうな子が増えたんじゃないかってこと。事務所の力だけで、箸にも棒にもかからないとんでもねーヤツってのはいない。


 この秋からも始まりそうな日韓のパフォーマンス勝負はどんな新たな展開、状況を生み出すのか興味深い。

 サッカーは昔からだけど、最近は野球も芸能も韓国パワーには目を見張るものがあるんじゃないか。


 底辺に金かけてきっちりやってくるとこは強いんだよ。


 日本の芸能界もいい刺激を与えられるといいよねぇ。
 

 

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ジョンの青春時代を描いた映画は魂が叫んでるぜ。

2010/08/17 19:55

 

 11月に公開予定の映画「ノーウエアボーイ」の試写会に行ってまいりました。


 ジョン・レノンビートルズの前身となるバンド、クオーリーメンを結成してポール・マッカートニージョージ・ハリスンと出会い、ハンブルクへ初めて旅立つまでを描いた作品で、ジョンを演じたアーロン・ジョンソンとポールを演じたトーマス・サングスターが迫真の演技を見せてて、楽しめたね。


 特にアーロンはね、最初のうちは安手のソックリさんみたいだったんだけど、最後の方のレコーディングのシーンでは魂が乗り移ってた。


 映画全体を貫いているのは、生みの母の姉、ミミ伯母さんに育てられ、生みの母とは複雑な別れと出会い、交流を持ち、引き裂かれた感情を抱えて、10代の多感な時期をを過ごしたジョンの青春そのもの。


 オレはジョンのことはすっかり知った気になってたんだけど、ある意味ほとんど何も知らなかったことがこの映画を観てわかったね。


 どの程度がホントのことで、どのくらい映画的な味付けがされているのか、それさえよくわからなかった。


 ただ、改めて「そうだったんだよなぁ」と思ったのは、ジョンもポールも多感な青春期に母親を亡くしている点。


 その時に思い出したのが音楽評論家の田家秀樹さんが書いた「小説 吉田拓郎 いつも見ていた広島」って本なのよ。


 ー拝啓 ジョン・レノン


 そういう書き出しで始まる小説で、吉田拓郎の青春時代を題材とした作品だよ。


 ちょっとね、どの部分だったかが思い出せないんで正確じゃないんだけど、おおよそこんな風に言うシーンがあんの。


 「音楽って寂しいヤツがやるんだよ」


 多分ね、学生時代のバンド仲間がさ、卒業してもプロを目指して続けるのか、それとも学生時代のいい思い出として就職する人生を選ぶのか、その分岐点になるきっかけは何なのかを考えるような場面だったと思うんだけどね。こんなニュアンスの発言だか回想だかがあった。


 ちーとも熱心じゃなかったけど、オレもミック・ジャガーのように歌って踊れるロック・ボーカルやりてぇと思ってて、酔っぱらっちゃぁ、手拍子してもらって、街中で「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」とか「ホンキー・トンク・ウーマン」をやってたからさ、この言葉が引っかかったわけ。


 「そういえばオレ、そこまで寂しくなかったかも」って思ったんだよ。
しがみついてでもってのがなかったのは、寂しさが足りなかったんじゃねーかと。もちろん、やり続ける才能もね。


 話を戻しましょう。この映画にはジョンとポールが出会う伝説のシーンが出てくるんだけど、ここでの哀話で2人は似たような寂しさを抱えてることがわかんのね。


 それプラス、お互いの実力を認めあえるモノを感じたってことで、才能に惚れ合っただけじゃないものが描かれている。


 オレがジョンの何を知らなかったかといえば、生みの親と育ての親にジョンが抱いていた怒り、憎しみ、、愛情、思いやりなどなど。


 逆に、知っていたのは
ジョンの歌声が怒り、哀しみに溢れ、奏でる音楽に人の情動をかき立てる不思議な力が漲っていたこと。


 これって、ロックそのものなんだよ。


 どんな生い立ちかなんてことより出てきた音が全てでさ、オレはその音に夢中で、ポールとジョンならジョンが好きで、さんざん歌い倒したんだけど、なぜそう思うのか考える前にストーンズに行っちゃったから、勝手にジョン・レノンについてはわかってる錯覚に陥ってたんだろうと思う。


 そういうわけで、この
映画は何となくビートルズが好きという、そこはかとなくビートルズファンだという人にオススメしたい作品ですよ。


 たぶん、もっと深くジョンが、ビートルズが知りたいと思うようになる映画だよ。


 でぇ、ジョンを演じたアーロン・ジョンソンなんだけど、この映画のメガホンを執ったサム・テイラー・ウッドって女監督と23歳の年齢差を乗り越えてデキ婚しちゃったのね。ジョンよりもマザコンで、母親みたいな年齢の人とマザ婚しちゃったオチがついてんだよな。あっちの俳優ってすごいことやるよねぇ。ジョンもたまげてんじゃねーの?

 

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宇多田の活動休止に余計なお世話のひとこと

2010/08/12 04:10

 

 

 宇多田ヒカルが、派手なアーティスト活動をやめて人間活動に専念するらしいね。


 それについては、ネタ枯れだの、事実上の引退だの、全米進出の挫折だの、果てはマックにも行けない私生活の閉塞感だの(本人はブログで否定)いろいろ言われてるけど、まあ、いわゆるひとつの充電だよね。


 本人は「2年になるか5年になるかわからないけど、一回り大きくなって帰ってくるから」って言ってんだから、それについては人間活動の成果が歌になっていつか表現されることを楽しみに待ってますよ。


 で、オレが余計なひとことを言いたいのはそこんとこなんだけどさ。彼女は昭和40年代に一世を風靡した演歌歌手、藤圭子の娘だから、歌がうまいのはアタリマエのように思われてたよねぇ。


 人間活動の範疇に入らないかもしれないけど、ぜひとも基礎からヴォイストレーニングをきっちりやって帰ってきてほしいと思うわけ。


 宇多田の歌、うまかったですか? 


 「Automatic」でブレークし、アルバム「First Love」が前人未踏の850万枚も売れた全盛期(なんていっちゃっていいかどうかわかんないけど)のあとくらいに、たしか千葉マリンだか幕張だかでライブをやったよねぇ。


 残念ながら現場には行けなかったけど、たまたまNHKのBSだかでライブの模様を放送してたのを見ることができました。


 山口百恵の「プレイバックPart2」を歌ってたね。百恵は女にしちゃキーが低い方なんで、男にしてはキーが高いオレのかっこうのレパートリーなんだよ、これ。聞き耳を立てて聴いて驚いてしまいました。

 リズムはとれねぇ、音程ははずしまくるわで「歌、うまかったんじゃなかたっけ?」って、急に沸々と藤圭子の娘=歌がうまいのはアタリマエ、という先入観念が音を立ててボロボロと崩れていったですよ。


 当時、真っ盛りだったのは、いわゆるR&Bとかいうやつで(オレたちがガキの頃に聴いてたR&Bとは全然違うシロモノでソウルといった方がピンとくるやつ)、どいつもこいつもマライア・キャリーみたいな歌い方をし始めてたわけだ。


 なんかこう、音域を激しく上下させるようなやつね。


 あの歌い方ってさ、日本レベルだと下手をごまかせるんだよ。


 逆に音程が安定しないことが武器になる。


 もちろん、本当にうまい人のとは似て非なるモノなんだけど、聞き耳立ててないと気が付かないかもしれないかもしれない(穏便に言ってるよねぇ、オレ)。


 そういう視点から聴くとね、宇多田に限らず、音域の上下動に特徴がある歌い方をマネしてるヤツの歌は、たぶん本場のヤツらが聴くと「?」なんじゃないかと想像するわけだ。


 ただし、目的は宇多田をくさすことじゃない。オレは宇多田が持ってるメロディーラインは買ってんですよ。


 だからこそ、キチンッと人の心が歌える人になって帰ってきて、キッチリッ楽しませてほしいわけ。


 悪いんだけど、オレは耳には自信があるから。


 演歌なんてジョーダンじゃねぇぜって思うだろうけど、耳ふさいででも美空ひばりを聴いてみれば。人間活動には必需品だと思うよ。ついでに、竹中労が書いた「美空ひばり」を読むことをオススメします。


 あとね、歌い手がバラエティーに出んのはやめようぜ。歌手は自分の歌の世界を伝えてナンボ。自分の歌を伝える方法として必要ねーだろ。むしろ、自分の歌を自ら壊してるんじゃねーのか。


 桑田佳祐の「音楽寅さん」は別よ。あれは本人のお笑いのセンスが生かされてて、桑田が根っこに持ってる、ロックの魂に直結する諧謔精神が感じられるから。ああいうのはいいの。


 どうしてもバラエティーやりたいんだったら、アーティストはそこでも歌につながる姿勢を見せないとカッコ悪いぜ。笑われて喜んでんじゃねぇよって感じ。以上。
 

 

 

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歌手、神野美伽の5年後

2010/08/08 06:40

 

 

 歌手の神野美伽ちゃんと話す機会があって「なるほどねぇ」と思える話を聞けました。


 こんな話。


 「来年あたりからファドやシャンソンをレコーディングだけはしておこうと思うんですよ。発表できるかどうかわかりませんけど。できなかったら、老後の楽しみにしようかなと(笑)。まぁ、演歌もファドもシャンソンも、人間の哀しみの、言葉では表現できない部分を歌ってるということでは同じだと思うんですよね」


 みたいなことを言ってたわけ。なんでこれがなるほどなのか。


 彼女と話しをする前にザッと彼女の作品を聞き込みました。


 まず意外だったのは、デビュー曲が「男船」じゃなくて「カモメお前なら」だったこと。


 神野といえば男歌で、少林寺拳法をやっていた影響なのか、勇壮な歌い方がピッタリはまっていたため、てっきりデビュー曲は「男船」だと思っていた人は多いんじゃないか。


 「カモメ…」はけっこうサラッとした歌で、まずここで「オヤ?」と思ったわけ。「男歌」は第3弾で、そこからさらに聴きこんでいくと、デビューから4年間は故・市川昭介さんの作品なんですよ。そんでもって市川先生は、「男船」のような男歌だけじゃなくて、いろいろなジャンルを歌わせて、神野の歌唱力の幅を試しているように感じたわけ。


 特に印象に残ったのはデビュー4年目に出した阿久悠さん作詞の「無我夢中」。
 ♪紅を拭き 髪乱し キリリと眉を吊り上げて
 抱かれたいのか 憎いのか 女が追いすがる…
 なんか、男歌とはほど遠い情念の歌でしょ?


 興味深いのは、その当時の市川先生からのアドバイス。


 「歌い方は『男船』のまんまでいいと。こういう歌は年とともに自然と変わってくるから、いまはそのまま歌えばいいと言われました」


 このアドバイスは深いよねぇ。市川さんは、この歌が変わることを見越してるわけだ。こっちは、歌い方が一緒だから、神野=男歌のイメージのままで聴いちゃうわけだよ。でも、当時は神野=男歌で、会社も世間もそのイメージに期待してるわけだからさ、市川先生は自分が神野に歌わせたい作品と商業主義的な成果の両方をバランスよく巧みに実現させたんだと思うね。


 で、ある年齢にくると「無我夢中」は若い頃とは違う歌になる。自然と歌の幅は広がり、より深い世界を歌える歌手として神野の評価も変化していく…。そこまで考えてアレコレ歌わせてくれる先生ってのは、歌手にとって有り難い存在だと思うよぉ。


 さらに話を進めると、神野はデビュー5年目にして初めて市川作品ではない「春夏秋冬 屋形船」を歌う。


 デビューから今までの歌をザッと聴いててね、一番印象に残ったのがコレですよ。おそらく、出したシングルの中で、最も肩の力を抜いて歌ったんじゃないか。


 例えば、音域が3オクターブの人が毎回毎回、めいっぱいの音域で歌ってたら聴いてる方は疲れちゃうでしょ? これを2オクターブに抑えて、なおかつ情感が空間に漂い続けるような歌い方が出来たら、歳月を重ねるごとに、ますます歌が熟成していくと思いませんか?


 なぜ「春夏秋冬…」が最も印象に残ったのか? その後、少なくともシングルではこのジャンルに手をつけていないからですよ。


 「なんでこのジャンルを封印してんの? そろそろ出来る年齢だろ?」って素朴な疑問が沸々と湧いてきたわけ。


 もちろん、美伽ちゃんは先刻承知だったよ。だからこそ、様々な歌に対応する能力を持つ演歌歌手が、幅広いジャンルを作品として発表していくことの難しさがあるんだけどね。彼女はこんな風に言ってました。


 「『春夏秋冬…』のような歌は、その後、何度もチャレンジしてるんですよ。でも、アレを超える作品が出来なかったんです。あの歌は作った方との競作になったんですけど、やるべきだと思ってました。当時、周囲は大反対でしたけど」


 実はこんな話の流れから出てきたのが、冒頭の「ファド、シャンソンをレコーディングだけはしておこう」って言葉。


 「春夏秋冬…」を超えるあのジャンルの歌として、ファドとシャンソンを指呼にとらえてるってわけ。


 「もちろん、演歌が嫌いになったわけじゃありません。浪花節とかも、浪曲師が絶滅の危機にあるという話だし、日本の古き良き伝統は守って、歌い継いでいきたい。いろいろやって50歳になった時、何が残っているか、楽しみです」


 オレも演歌なんかやめちまえとは思わない。
 ただね、ズンチャカチャッチャ、ズンチャッ、ズンチャッって、毎度毎度、金太郎飴みたいなことをやってる場合じゃねーだろ、とは思うけどね。


 演歌というジャンルにとって、素人がカラオケで歌える歌を作ることが商業主義的にみて、最も理にかなった商売であることはわかるわけ。


 ただ、オレはメーカー側の人間じゃなくて、こんな歌が聴きたい、流行らせたいって素直に語れる側だからさ。商売上の理屈がわかたってしょうがない。


 たとえば、坂本冬美の「また君に恋してる」がロングヒットしてるでしょ。商売上もアレは無視できないんじゃないか。


 ジャンルなんか関係なしにね、音楽のよさって何なのよ?


 オレは小学校4年生の時、ビートルズをたまたま聴いちゃって衝撃をくらったから余計にそう思うんだろうけど、音楽ってのは枠にとらわれない精神だと思うわけ。


 ビートルズの何が凄かったっていうと、音楽が自由奔放なんだよ。いままでの決まりごとに全く囚われていない。


 ビートルズ初体験は、「抱きしめたい」だったんだけど、いままで聴いたことのないメロディーの流れとか、スピード感が突出したベースの音とか、エイゴのエの字も知らない、まだ9歳だったオレが聴いても「タダゴトじゃない」って思う勢いがあった。


 衝撃のデビュー後も、ビートルズは様々な方法でロックミュージックの可能性を試し、音楽性からファッション、主義主張に至るまで、いろいろな影響を世界中の若者に与えたわけだ。


 ヒット曲を作らなきゃいけないプレッシャーにさらされた時でも、根底にあったのは「とにかくやってみようよ」っていう、尽きることのない遊び心だったんじゃねぇのか。


 冬美の「また君…」だって、焼酎のCM用に最初は出だしのとこだけ録ったんだろ? でも、なんかいいメロディーだからダメモトで1曲にしちゃって、ついでだからシングルのカップリングに使っちゃえって話だよ。


 で、そっちの方が評判になっちゃって、だったらカバーアルバムも出しちゃえってなって、おかげで冬美ちゃんも演歌チックじゃない歌い方も覚えて、そういう歌も楽しんじゃったわけだ。


 やっぱり、歌ってる人間が自分の歌を楽しんで歌うってのは原点だろ? 遊びってのはチャレンジだからね。挑むから楽しいんだよ。


 神野は今年の8月で45歳かな。あと5年で50歳。男歌であれだけ声量を誇った歌手が、余韻を残す歌い方のファド、シャンソンでどれだけ人の心を掴めるか。その前のめり感にオレは期待する。


 神野は歌に飢えてんだよ。飢餓感は大事だよ。「もっと何かしたい!」って気持ち。ほかの演歌歌手も持ってるのをいつも感じる。その気持ちをくんであげたいよねぇ。じゃないと、何も変わんねーもん。
 

 

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